商標・知財コラム:特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士 峯 唯夫 先生

「八ッ橋」創業年の争い

■ 判決の概要
6月10日、創業年の表示を巡る京都「八ッ橋」の老舗同士の訴訟に判決があった。
「井筒八ツ橋本舗」が、「聖護院八ツ橋総本店」が元禄2(1689)年創業と商品などに表示しているのは根拠がなく、消費者を誤解させるなどと主張して、創業年の表示中止等を求めていた事件です。
「10日の判決で、京都地方裁判所の久留島群一裁判長は、「京都では『生八つ橋』など歴史が新しい菓子もよく売れており、歴史の古さは必ずしも消費行動を左右するとはいえない。問題とされた表示も江戸時代に創業したようであるとの認識をもたらす程度のものにすぎず、消費者の誤解を招くとはいえない」と指摘しました。
そのうえで創業した時期についても、「すべてにわたり誤りであるという確実な証拠はない。誤った説明で八ッ橋全体の信用性を失わせるとまで認めることはできない」と述べ訴えを退けました。」
(出典:NHK NEWS WEB https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200610/2000030845.html)

(出典:NHK NEWS WEB https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200610/k10012465681000.html)

■ 「八ッ橋」の由来
聖護院のHPでは次のような説明が記載されています。

八ッ橋が誕生したのは、元禄二年(1689年)です。
江戸時代中期、箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校は、「六段の調べ」など数々の名作を生み出し、近世筝曲の開祖と称えられています。
歿後、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られましたが、墓参に訪れる人は絶えることがありませんでした。 そのため検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。以来、三百二十年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。
(出典:http://www.shogoin.co.jp/yatsuhashi/history/)

筆者は、橋の名前であろう程度に思っていましたが,琴の名人の検校さんに由来するとは。
尤も、「八ッ橋」を「池・小川などに、幅の狭い橋板を数枚、稲妻のような形につなぎかけた橋。8枚の板からなる三河の八橋に由来する。」(デジタル大辞泉)、「庭園の池などで、幅の狭い板を数枚ジグザグに並べて架けた橋。」(大辞林 第三版)などと説明する辞書もあり,京銘菓「八ッ橋」の由来は定かでないようです。

■ 「先陣争い」の事案
本件原告の気持ちは、「根拠がないのに先に始めたような表示をしてずるい」(→不正競争)ということであろう。同じような事案はないかと探してみたら、「元祖」争いがありました。
「大阪みたらし事件」(大阪高判H19.10.25、平19(ネ)1229号)
この判決では、「同種の菓子食品であっても品質等(原材料,成分・栄養分,添加物の有無,味覚,食感,消費期限,保存方法等),様々な点に違いがあるのが通常であって,一番最初に当該商品についての着想を得る等した者が製造した商品であるからといって,必ずしもその品質が優れているとは限らないから,「元祖」を上記のように解したとしてもかかる表示が直ちに商品の特定の品質に結びついて商品選定に影響するとは認められない。また,「一家系の最初の人」も意味する「元祖」の語義からすれば,一般論としてはこれを付した商品が相応の歴史・伝統を有するものとして商品選定に何がしかの影響を及ぼすことがあり得るとしても,本件商品のような新しい着想による,歴史・伝統の浅い商品について「元祖」表示を付することが,その品質に係る優位性を強調することに繋がるとは必ずしもいえず,かかる商品についての「元祖」表示が,直ちに商品選定に影響するとは認められない。」などと説示し、14号(虚偽事実陳述流布)には該当しないと判断しています。

■ 感想
今日(6月16日)の段階で「八ッ橋」の判決は公開されておらず、詳細は不明です。素朴な感想として、包装における「創業1689年」が「1689年以来八ッ橋を作っている」という意味に捉えられるのでしょうか。「八ッ橋の店として創業した」とも、「八ッ橋を創案した」とも書いてありません。単に古いお店だと感じるだけ。ちなみに「西尾八ッ橋」のHPにも「創業1689年」と(https://www.8284.co.jp/)。
「元祖」の方が需要者に遡及するインパクトは強いように思います。

 

特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士
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