商標・知財コラム:首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士 工藤 莞司 先生

四季の山歩き里歩き紀行・流山編
菜の花が咲く歴史の街流山を歩く

 千葉流山に菜の花が咲くと知ったのは、昨年も花が散った後であった。一年待ち、今年も花咲く時期に至った。処がネット情報では不確で、花がなくとも江戸川が流れ、寺が多くハイキングは出来るだろうと出掛けた。
 一茶寄寓の地 南流山駅前はビルも建つ商店街。武蔵野線沿いから水路縁を歩くと小高い林の中に赤城神社があった。上州赤城山が崩れて流れ着き、丘になったとある。参拝し、石段を下ると光明院。その先が長流寺。その間に、江戸後期からみりん等醸造業を営む秋元家があって、そこに一茶が屡々寄寓した屋敷があり、その一つ双樹亭が復元されていた。秋元家五代目の俳号が双樹であったという。
  庭には一茶が詠んだ”夕月や流残りのきりぎりす”の句碑もあった。一回りし、流山寺を覗いて、江戸川土手に菜の花を探す。

 菜の花の間を行く 流山大橋へ上がると、菜の花が待っていてくれた。上流に向け土手上両サイドに咲く黄色の花を従え、花の間を行く。進むに従い、菜の花が埋め尽くしている。黄花越しの江戸川の流れも風情がある。私同様、菜の花を楽しむ家族連れも見える。川側土手一面に咲く地に出会う。土手へ降りて近づきカメラに収め、土手上へ戻る。菜の花を分けて1人分の道が出来ていた。何処まで続くかなと思い始めた頃、矢河原渡し跡の案内があり、ここで、北側へ土手を降り、市内へ入った。

 歴史の街流山 本町通りには、蔵造りの商店街が遺り、江戸期からの繁栄が窺える。大消費地江戸を控え、当地は江戸川、利根川利用の舟運の中心地であっという。木造の呉服店は戦前を遙か遡るレトロそのもの。そんな建物が両側に散見される。明治2年になって葛飾県庁が置かれ(その後千葉県へ)、常与寺には明治5年教員養成学校が置かれたことを示す記念碑があった。
 また、流山は幕末近藤勇が捕らえられた地で、京都から後退した新選組が最後に本陣を置いた屋敷跡もあった。国有形文化財笹屋土蔵が遺るとあり、小路の間に見付けたら、現在はフランス料理レストランであった。
 初めて流山線に乗り鰭ヶ崎駅に降り、東福寺に寄り南流山駅迄歩き、武蔵野線で帰途に就いた。  (2015/4/12歩く)

首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士
工藤 莞司

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工藤 莞司 先生
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