首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士 工藤 莞司 先生
万国博覧会の歴史と工業所有権制度の発展
先月から大阪・関西万国博覧会が開催されて、入場者数も多く、順調な滑り出しのようである。そこでは、最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信、国内外から投資拡大、交流活性化によるイノベーション創出等を実現しようとしているとされる。万博は、工業所有権制度とは密接に関係している。
万博開催契機にパリ条約成立 工業所有権の保護に関するパリ条約は1883年成立とあるように、それ以前に開催された1873年のウィーン開催や1878年のパリ開催の万国博覧会を契機として特許の保護等の議論が開始され、そして機運が高まり各国間の議論を経て、1883年のパリ開催の国際会議で成立したものである。当初から内国民待遇や優先権制度の規定があった。各国特許独立の原則は、1900年のブラッセル改正で追加された。いずれもパリ条約による工業所有権の国際的保護の原則で、万博への出品を背景に、外国での特許権等取得の促進を図ったものである。
因みに、日本が初めて参加したのは、幕末の1867年のパリ万国博覧会であり、幕府及び薩摩藩・佐賀藩が出品し、将軍徳川慶喜の弟水戸藩の徳川昭武(11代水戸藩主)が代表として、渋沢栄一らが随行しパリに赴き参加した。
万博への出品と新規性喪失等の例外規定 特許法上、博覧会へ出品して発明の新規性を喪失しても、例外として保護することが明定されていた(特許法30条旧3項)が、現在は博覧会への出品を含めて、例外の保護の対象として一括規定されている(特許法30条1、2項、実用新案法11条1項、意匠法4条1、2項)。
商標法では、国際的な博覧会への出品又は出展に係る商標については、当該出品等の日が出願の日とみなされる扱いである(商標法9条1項)。
前回大阪万博と「ダイダラザウルス事件」今回の大阪・関西での万博開催は二度目で、最初は1970年開催の大阪万博であった。1970年の大阪万博では、走行中のジェットコースター施設に対し、一個人が商標権をもって使用禁止を求めた仮処分事件(昭和45年5月20日 大阪地裁昭和45年(ヨ)1219号)があった。判例集未登載であったが、論文集に解説と全文が掲載されていた(山上和則「商標法上の商品概念と不動産」小野昌延先生還暦記念判例不正競業法101頁)。
これによると、裁判所は、万国博覧会場内に設置されたジェットコースター類似の施設は、商標法にいう商品ではないと判断して、仮処分申請を却下した。9類産業機械器具等を指定した商標権の行使で、当時商標法上わが国ではサービスマークは未保護であった。私は、1970年の大阪万博を見学する機会があり、大勢の人出の中、空いているパビリオンを巡ったと思う。