一橋大学 名誉教授・弁護士 土肥 一史 先生
“くたばれ、ロシア軍艦”
タイトルの刺激的な文字列は、ロシアによるウクライナ侵略の初期に、ロシアの黒海艦隊旗艦Moskovaから、ズミイヌイ島(英名スネーク島)に駐屯していたウクライナ防衛隊に通告された「投降せよ、さもなくば砲撃する」に対し、ウクライナ防衛隊の返答がこの文字列“Russian warship, go fuck yourself”と伝えられている。
ウクライナ防衛隊は13人と少数であったところから、アラモの砦の戦いにも模され、このフレーズは、ウクライナの国民的スローガンにだけ留まらなかった。各都市での反ロシア・ウクライナ支援デモのスローガンとなり、Tシャツの胸デザインに使われ、郵便切手のデザインとなり、さらには楽曲のテーマともなって世界に広まった。
このフレーズは、ウクライナ国境防衛軍により、欧州共同体知的財産権局(EUIPO)に、数多くの商品や役務を指定して欧州商標出願がされた。しかし、同出願は、「公序良俗に反する商標は登録することはできない」とする欧州商標規則7条(1)(f)の規定に基づいて、全て拒絶された。
この決定に対して異議が提出されたが、審判部では、出願商標は指定された商品役務につき識別力がない(欧州商標規則7条(1)(b))として原決定が維持されている。この一連の経緯を経て、2024年11月13日、欧州通常裁判所は、審判部の判断を支持し、当該フレーズは「商標の本質的機能を果たさず、平均的な需要者がそこから商品又は役務の出所の同一性を感得することができるものではない、単なる政治的メッセージに過ぎない」、と判示した。
戦時中の相手国に対する中傷的・侮辱的スローガンと商標登録の関係については、わが国でも「征露丸」のケース(大審院大正15年(オ)第193号)が有名であり、概説書での説明レベルであるが「鬼畜米英」も知られている。「征露丸」は、日露戦争中の明治38年6月19日に商標登録出願され、講和条約が締結された同年9月5日の3日後に商標登録されたため、国際信義に反するとされた経緯がある。
冒頭のフレーズがわが国に出願されたとすれば、日本特許庁はどのような判断を示すだろうか。フレーズの構成自体がきょう激又は卑猥な文字からなるといえそうであるし、また、あのロシアではあっても、特定の国若しくはその国民を侮辱し、又は一般に国際信義に反するといえなくはない。その意味で、商標法4条1項7号の拒絶理由を適用することもありそうだが、やはり、この文字列は政治的なスローガンとして何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができないものとして(商標法3条1項6号)、識別力の有無を理由に拒絶するのが、無難なように思われる。