商標・知財コラム:弁理士法人レガート知財事務所 弁理士 峯 唯夫 先生

著作権は難しい
・・・北斎の「神奈川沖浪裏」と武志伊八郎信由の「浪に宝珠」・・・

■ ある新聞記事
今年9月13日の朝日新聞夕刊に、「北斎の代表作そっくり」というタイトルで、北斎の「神奈川沖浪裏」(1831年頃作)が武志伊八郎信由の「浪に宝珠」(千葉県いすみ市の行元寺の欄間、1809年作)にそっくりだという記事が掲載されていました。確かに似ています。そして記事において、「うり二つなのは一目瞭然。初代伊八の『浪に宝珠』の宝珠を遠景の富士山に置き換え、小波の上に押し送り船を沿えると、北斎の「浪裏」になる。」という千葉県立高校の先生の見解が紹介されています。北斎の「浪裏」は「宝珠」の翻案である、ということでしょう。

(出典:いすみ市観光協会HP
http://www.isumi-kankou.com/isumi-kanko-tousyu/gyouganji.html

■ 今なら炎上か
もし、北斎が今を生きていて「浪裏」を発表したら、SNSで模倣騒ぎが炎上していたのではないでしょうか。佐野研二郎さんがデザインした2020年東京オリンピックのエンブレムの著作権侵害騒動のように。葛飾北斎の名声は打ち消されていたかもしれません。

■ 一筋縄ではいかない
この記事では別の見方も紹介されています。伊八による北斎へのオマージュではないか、というのです。「伊八が『浪に宝珠』を完成させる前に北斎が描いたとされる『おしをくりはとうつうせんのづ』をみると、すでに大波が押し送り船の行く手を阻むように立ちはだかる構図に描かれている。・・・伊八の 『浪に宝珠』は富士山と押し送り船を宝珠に換え、全体を装飾品らしく変形したのではないか。」(すみだ北斎美術館前館長)というものです。

■ 大波と小舟を描き続けた北斎
北斎には、『おしをくりはとうつうせんのづ』の他にも、大波と小舟をモチーフとした作品があります。北斎は、「大波と小舟」に挑戦し続け、30年近くかかって「浪裏」にたどり着いたといえます。北斎は房総を旅していたということです。北斎と伊八、互いに意識し合いつつ、独自の創作活動を行ったということかもしれません。

(出典:神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景)の解説
https://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol5/hokusai/namiura/

 

弁理士法人レガート知財事務所 弁理士
峯 唯夫

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