商標・知財コラム:弁理士法人レガート知財事務所 弁理士 峯 唯夫 先生

有名な杜氏さんの、氏名の使用を巡る闘い

■ 富山の居酒屋で
 先日、北陸へ旅行しました。富山では、路面電車とガラス美術館(熊研吾さんデザインの木材を多用した開放感に溢れる建物)を楽しんだ後、知人に教わった居酒屋で一献。
 日本酒の瓶がずらりと並び、かなりお年を召した主のお勧めで五勺ずつ提供してもらえます。BGMは落語。富山のお酒を何種か味わった後、石川県のお酒ですが好みの「菊姫・山廃」があったので所望し、主と雑談していると、菊姫で山廃を復活させた杜氏の農口(のぐち)さんは、裁判を起こしたり大変だったようだ、というお話し。

■ 農口さんの裁判
 家に帰り検索してみると、判例検索で商標法51条の適用を争う審決取消訴訟(令和2年(行ケ)10050号)が見つかりました。さらにGoogleで検索すると、2021年に損害賠償請求事件の判決(金沢地裁)があった模様ですが、判決データベースで見付けることはできず。以下に、審決取消訴訟を紹介し、最後に損害賠償訴訟に触れたいと思います。

■ 審決取消訴訟(2020年12月23日判決)
 原告は杜氏の農口尚彦さん(公表データでは「原告X」)。吟醸酒の研究、山廃復活などにより、厚労省「現代の名工」に選定され(2006年)、黄綬褒章を受章(2008年)という経歴の持ち主で、現在は自己が設立した酒蔵である農口尚彦研究所で日本酒を製造し販売しています。被告は登録商標「農口」(標準文字)を保有し、草書体でラベルに使用する農口酒造株式会社であり、原告は以前、被告会社の初代杜氏をしていたという関係です。
 原告は、「農口尚彦研究所」の日本酒は,日本酒評価サイトである「SAKETIME」の石川の日本酒ランキング2020において第1位を獲得したこと、ANAの国際線ファーストクラスにおいて2018年から継続して「農口尚彦研究所」の日本酒が提供されていること、その他「農口尚彦研究所」の日本酒が紹介された多数の雑誌・新聞記事などを証拠として提出して、商標「農口尚彦研究所」が需要者において周知であることを主張しました。
 しかし裁判所は、「上記雑誌,新聞,ウェブサイト等においては,『農口尚彦研究所』は,原告が杜氏を務める酒蔵として紹介されており,上記ANAのウェブサイトを除き,日本酒の銘柄又はブランド名として,『農口尚彦研究所』が用いられることを明確に示す記載はない。また,日本酒が掲載された写真についても,当該写真から『農口尚彦研究所』と表示されていることを判読することは困難である。
 加えて,前記ア(エ)の雑誌,新聞,ウェブサイト等における原告の紹介記事等によれば,原告の氏名である『X』は,日本酒の銘柄等に関心の高い日本酒愛好家の間では知名度が高かったものといえるが,嗜好やこだわり等も様々な一般消費者の間において,広く知られていたとまで認めることはできない。」と認定し、周知性を否認し、混同のおそれ、品質の誤認該当性を否定し、請求を棄却しました。
 ところで、杜氏名に反応するのは日本酒愛好家のみであろうから、一般消費者に知られていなくとも、農口という杜氏名の周知性が認定されても良かったように思うがどうだろうか。
 なお裁判所は、「もっとも,被告の日本酒の瓶に貼付されたラベルには,別紙1記載の使用例1及び2のとおり,本件使用商標1又は2の左側に『杜氏 X』の表示があること(前記1(2)ア(ア)a)に鑑みると,上記ラベルに接した需要者は,『杜氏 X』の表示から原告が杜氏として酒造りをした日本酒であると認識するものと認められるが,そのことは,『杜氏 X』の表示から生じる認識であって,本件使用商標1及び2自体から生じた認識あるいは誤認であるということはできない。」との判断も示しています。

■ 損害賠償訴訟
 この事案の詳細は不明ですが、中日新聞のウェブサイト( 2021年12月4日)(https://www.chunichi.co.jp/article/377352)から引用します。
 「全国のファンから『酒づくりの神様』と称される杜氏(とうじ)の農口(のぐち)尚彦さん(88)=石川県能登町=が、退職した『「農口酒造』(同県能美市)の商品や広告に自身の名前を使わないように求めた訴訟の判決が三日、金沢地裁であった。吉川健治裁判長は、酒造側が営業上の利益を侵害したと認定し、商標の使用料など約二百四十五万円の賠償を命じた。農口さんは現在、農口尚彦研究所(同県小松市)で杜氏をしている。」「裁判では『農口酒造の酒を、自分が造った酒だと誤認して買う人がいた』として、営業上の利益が侵害されたと訴えていた。判決は、農口さんが酒造りで現代の名工に選ばれた実績に触れ『酒造は名前の使用で混同を生み、農口さんの杜氏としての名声を毀損(きそん)した』と認めた。」
 不正競争防止法2条1項1号と氏名権に基づく請求のように思われますが、金沢地裁は周知性(農口尚彦という氏名か?)を認めたようです。

 

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