商標・知財コラム:特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士 峯 唯夫 先生

鉄道150年と「つばめ」の盛衰

■ 鉄道150年
 今年は鉄道150年。1872年に新橋(汐留)・横浜(桜木町)間に、日本最初の鉄道が開通。開業式が行われた10月14日は鉄道の日とされています。JRでは、下のようなマークを用意しているのですが、余り見ませんね。商標登録もしていないようです。最近僅かに新聞やテレビで採りあげられるに過ぎません。
 さて、「つばめ」です。

■ 特急「燕」
 特急列車の愛称「つばめ」は、旧国鉄を代表する列車名。今年リーグ優勝を果たしたヤクルトスワローズの前身は国鉄スワローズ。「スワローズ」は特急の愛称「つばめ」に由来しています。現在でも、JRバスには燕の絵が。
 特急「燕」は、日本で最初の愛称を持った特急列車として、1930年に運転を開始しました。乗務員の交代は、走行中に機関車から水槽車(給水時間短縮のために機関車と客車の間に水槽車を連結)の外をたどって客車へ移動するという、今では考えられない過酷な作業を行いつつ、東京・神戸間を9時間で結び、それまでの特急から2時間以上短縮し、「超特急」と呼ばれました。最後尾には展望車(室外に出られる展望デッキがあり、応接室のような内装)が連結されています。
 この初代は1943年10月、戦争の激化に伴い廃止されました。

■ 特急「つばめ」
 戦後初の特急として、1949年9月に東京・大阪間に「へいわ」の運転が開始され、翌年「つばめ」に改称されました。この列車は、「つばめガール」と呼ばれる女性乗務員が乗務し、東京・大阪間を8時間、全線電化完成後は7時間30分で結んでいます。
 豪華客車編成の「つばめ」でしたが、1958年の電車特急「こだま」(151系、展望車に代えパーラーカーを連結。冷暖房完備)の登場により見劣りするようになり、翌年6月に電車に衣替え。東京・大阪6時間30分、日帰り可能なことから、「こだま」と共に、「ビジネス特急」と呼ばれました。
 その後、1964年の新幹線開業により東海道から撤退し、山陽本線・鹿児島本線へ転身。1975年の新幹線博多延伸で廃止されます。

(「つばめ」を牽引した機関車C62の2号機。「ツバメマーク」が貼り付けてあり、SLブームにおいては「スワローエンゼル」と呼ばれて珍重された。梅小路蒸気機関車館にて筆者撮影)

■ JR九州の特急「つばめ」
 JR発足後、車両デザインに力を入れていたJR九州は、1992年、斬新なデザインの特急車両(787系)を使用した博多・西鹿児島(鹿児島中央)の特急に、「つばめ」と命名した。命名にあたり、JR九州は他のJR各社に事前の了解を得たようである。「つばめ」という名称がJR各社の共有財産とも考えられたのであろう。
 この車両は、「ななつ星」をはじめとしたJR九州の殆どの車両を手掛け、鉄道デザイナーとして全国区となっている水戸岡鋭治のデザイン。在来線から長らく姿を消していたビュフェを連結し、「つばめレディ」と呼ばれる女性乗務員が乗務していました。この車両は、フランスのTGVに似ていると言われたものの、水戸岡さんは「マネをした」と悪びれずに応えていたものです。
 鹿児島行きの「つばめ」も、2011年、九州新幹線の熊本開業に伴い廃止され、「つばめ」は九州新幹線の各駅停車の愛称になりました。開業当時の九州新幹線の車両(800系)も水戸岡さんのデザイン。東海道新幹線とは異なり、木を多用したしっとりとした内装。この車両は現在も、九州内限定で走っています。

■ 「つばめ」の商標権
 サービスマークの登録制度の導入は、1992年4月。既に「国鉄」はなく、国鉄は商標「つばめ」(第39類)の登録をする機会を持たなかった。現在確認できる登録は以下の2件。前者は鹿児島特急787系の側面に描かれたもの、後者は新幹線の側面に描かれたもので、客車特急時代のヘッドマークをモチーフとしています。権利者は何れも九州旅客鉄道株式会社です。

  • 登録第3013952号
  • 登録第4798154号

 

特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士
峯 唯夫

メルマガ登録
峯 唯夫 先生

峯 唯夫 先生
バックナンバー

ページTOPへ