商標・知財コラム:特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士 峯 唯夫 先生

明治時代の商標

ふと思い立ち、商標登録第1号を検索した。以下が公報です。

 4件全て、明治17年10月1日の出願、登録日は明治18年6月2日。商標条例は、明治17年6月7日に公布され10月1日に施行されたので、これらは施行日に出願されたものです。出願数は少なかったでしょうが、今と同じくらいの期間かかっていたようです。
 公報を見ると、「商標の種類及び品名」とあります。「種類」とは今の「区分」に相当し、当時は95種ありました。「商標の要部」という欄があることも今との大きな違いです。
 もう一つ注目すべきことは、全てが図形商標です。登録第200号まで見てみましたが、図形商標がほとんどです。当時、「商標」といえば「図形」と認識されていたようです。
 古い商標に注目してネット情報を探していると、登録第507号がまだ生きている、という記事に遭遇しました。

http://www.hohshin.com/theme197.html
商標よもやま話 13 「明治生まれのマッチに見る106歳の商標権」

そこで、登録第507号を検索すると、なんと公報が3件あります。そして、はじめの1件と後の2件では商標が違います。

(1件目)
明治18年7月27日登録

(2件目)

 明治43年の登録であり、「統監府特許局登録」とあります。これは、韓国商標令による登録は日本国の商標法により発生したものと見なされたことによるもののだそうです(「商標懇vol.2 No4 1985.4)。
 同じ番号で商標が異なるという不思議な事実。これは、韓国や満州で登録された商標に、消滅した商標の番号を割り振っていたようだ(松田治躬先生談)、とのこと。したがって、登録番号と登録の先後は必ずしも一致しないようです。



[お詫びと訂正] 2018/04/13
本コラムにおいて「同じ番号で商標が異なるという不思議な事実。これは、韓国や満州で登録された商標に、消滅した商標の番号を割り振っていたようだ。」と書きましたが、工藤先生からそうではない、真相は工業所有権制度百年史・上巻357頁、「7 統監府特許局から引き継いだ商標」に記載されている、とのご指摘をいただき、資料の提供を受けました。あまり接する機会のない情報ですので、前回の記述との重複もありますが、該当部分を引用します。

「統監府特許局は、韓国特許令(明治41年8月21日勅令第196号)などの施行のために設けられたものである。明治43年の朝鮮併合により、我が国特許法などが朝鮮に施行された明治43年8月29日まで、統監府特許局で朝鮮における特許、商標等に関し出願、審査、登録などの業務が行われた。そしてわずか2年の間であったが、朝鮮をはじめ日本、米国などから出願され、この間に540件の商標登録がなされている。
この統監府特許局の登録した権利は、「商標法ヲ朝鮮ニ施行スル件」(明治43年8月29日勅令337号)によって、韓国商標令により発生した商標権が我が国商標法により発生したものとみなされて日本の特許局の商標原簿に登録され、統監府特許局から我が国特許局に移管された。」


このとき、統監府特許局における登録番号がそのままで移管され、その結果として同じ登録番号に複数の商標が存在することになった、とのことです。
精査せずに記述したことをお詫びいたします。

 

特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士
峯 唯夫

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